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「来ます。ありがとうございます。本当においしかったです」
「開店は11時半だけど、早めに開けることもあるわよ。明日は何時にこちらにくるの?」おいしい天ぷらを食べさせてくれる店の奥さんが、昨日聞いてくれた。
6月9日午前11時。白い暖簾がゆれている。ガラガラと戸を引くと、奥さんが、そしてご主人も笑顔で迎えてくれた。天ぷら定食を注文する。
本当に驚いたのは、カウンターだけの店内が当時と変わらぬほどキレイなことだ。さらに、驚いたのは、この店がこの地で開店したのは、昭和58年だという。私が初めて訪れたのは平成に入ってからだが、暖簾と店内の美しさに、てっきり、できたばかりの店だと思い込んでいたのだ!いや~驚いた。
カウンターの向こうでは、ご主人が天ぷらを揚げているのだが、壁も天井も床もきれいなものだ。ベタついたところがまったくない。しかも、無垢の檜でできたカウンターには油の染みひとつない。その驚きをそのまま伝えると、「食べものは清潔さが命だから」とおっしゃった。さらに、「このカウンターはいいものだから大切にすれば、いつまでも綺麗なままなんですよ。ここに移る前から使っているから、もう24年になるわね」!
会話が途切れても、ご主人の揚げる天ぷらの音がカラカラと心地よい時を刻む。
揚げたての天ぷらとホクホクのご飯。湯気を立てる味噌汁もカウンターに並んだ。少し離れて、刻んだ紅生姜の盛られた小鉢。当時は真っ先にナスをつまんで、舌をやいたものだ。いや、ナスより先に生姜だろう。あっ、いつも食べてたのは天丼だった...。まあ、どっちにしたって、満足して帰るのは間違いのないことだ。ただ、真っ先に生姜をどんぶりに乗せる儀式をやりたかっただけだ。
「味はどう?変わらない?」と奥さん。
「ええ、おいしいです」
「このお店で、ご主人や奥さんとお話しするのは今日が初めてです。こうしてお話しできたことがうれしいです。ぼくは学生時代に何度もここに来ましたが、ここでは話しをしてはいけないと思ってました。お店の方とはもちろんですが、一緒に入った友人ともここで話しをしたことがないんです。卒業後に一度来たときに、ここの天丼を食べるためだけにこの街に来たことを伝えたかったのですが、やはり、話しだすことができませんでした。今日は、他にお客さんもいませんし、昨日、表で少しだけお話しできたので、甘えさせていただいてます」
そう伝えると、奥さんは深く頷いて微笑んだ。
「あの頃は、学生さんがたくさん来てくれたわね。特に昼時は込み合うし、外で並んで待っているお客さんもいる。だから、おしゃべりしないで食べる。食べ終えたら席をたって、次のお客さんに譲る。大事なことだと思うわ」
この店で、ご主人や奥さんが学生をたしなめるのを見たことも聞いたこともない。しかし、私がそうだったように、多くの学生は黙々と天ぷらをいただいた。見知らぬ客が肩を寄せ合うこの店で、暖簾の向こうに並んで待つ客が透けて見えるこの店で箸を止めながらの雑談はさせない。そんな決然とした態度がご夫婦に感じられた。大学では教わらない無言の講義。
「私たちも、もう年だから、いつまでこの店を続けられるかわかんない」
ゆっくり時間をかけていただいている途中、学生が一人入ってきた。その時から、私は言葉を発するのをためらったが、奥さんは構わず、いろいろなお話を聞かせてくれた。実は在学中、一度だけ、他の客が奥さんと親しそうに話す姿を見たことがあった。当時、その客を羨ましく思ったものだ。
「東京に出てきたら、また来てね。」
投稿者 tanbara : 2007年06月11日 01:28
